ゲルハルト・ドーマクは、1895年にブランデンブルクのラグーに生まれました。後にノーベル賞を受賞するドーマクですが、20歳の時に第一次世界大戦での体験を通じて当時の医学の限界に直面しました。その頃は手術が成功しても、壊疽やガス壊疽などの致命的な感染症に見舞われることが多かったのです。
1932年、化学的手段で細菌感染症を治療する方法を模索していたドーマクは、有効成分であるジメチルベンジルドデシルアンモニウムクロリドを偶然発見しました。これは後に、Zephirol という商品名で10%溶液として市販されました。Zephirol の強力な抗菌効果と肌へのなじみの良さから、現在でも手や器具の消毒に用いられ、世界に通用する不可欠な皮膚消毒剤となりました。体外の病原体を破壊することに成功したことが弾みとなり、ドーマクは体内の細菌と闘う方法を探し始めました。アゾ染料に含まれるスルホンアミド基の抗菌性をベースに集中的な研究を実施しました。
D 4145という物質は、レンサ球菌感染症の化学療法に関する研究において有望性を示しました。さらに2年間の研究を経て、ドーマクは極めて有効な物質を開発し、これは1935年に Prontosil という商品名で市場に導入されました。この薬によって、重症の球菌感染症であっても治療が初めて可能になりました。髄膜炎、産褥熱、肺炎などの病気による死亡率は急激に低下しました。1939年にドーマクがノーベル医学賞を受賞したのは、主に Prontosil の発見によるものでした。しかし、彼が正式な証明書を受け取ったのは第二次世界大戦後のことでした。
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